おなじ参るなら、正しい参拝をしたいと思うかたもいるでしょうね

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幸福になりたい。人の欲望は尽きないものです。

願い事

願いことは、お寺よりも神社でしょうか。人が幸福を望んでいたり願ったりするのは、当然のこと。
その願い事の正しい作法があるのであれば、そのとおりに願い事をした方が、願い事が叶いやすいと思ってしますのは、どうしてなのでしょうか。正しいことと、正しくないこと。
願い事の内容はともかく、願うということに対しては、正しい願い方なんてのは、存在しないのではないでしょうか。
前例にならえという風潮や心情があるからなのでしょうか。
願いを達成するためには、作法も学ぶし、儀式も重んじるというのが、日本で暮らしている人に多い信仰でしょうか。
何かしら、願いとか萎える方法としての、やり方に重点が行ってしまって、願いこと自体に注意をしなくなるのは避けた方が良いと思うのは、浅はかな証拠なのでしょうか。

祈ること

人は、願ってもどうしようもない状態になって、如何しようも無い自体になれば、祈るということである、と誰かが言ってたのを耳に残っています。
願ってなんとかなるという事態と、人の力では、到底及ばない事態である自然災害などの場合は、ただただ、祈ることしかできなくて。というのを災害では経験したことがある人も多いのではないでしょうか。
その際には、どうかこれまでの平常の平和に戻りたくて、祈ることをするのではないでしょうか。それは、特別、どこかの場所に言って、規則通りの行動をするとこでもなく、ただ、祈る。それは、日常の所作をしている時にもできることであります。しかしながら、特別に祈りたいと思う時もあるでしょう。学業でのことであったりとね。



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