おなじ参るなら、正しい参拝をしたいと思うかたもいるでしょうね

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お寺を守る人

選ぶことができるのは、神社ではなくお寺

お寺は、檀家さんのお布施で生計を成り立たせているのでしょうか。
その檀家さんは、お葬式の際にお経をあげてくれたりとする顧問料のような感覚でしょうか。
特別、成果物はなくても、心の平穏を保てるのであれば、安い顧問料ですかね。
心の支えになる場合もたくさんあることでしょう。僧侶の資格をとり、女性も住職に転職する人もいるとか耳にしたこともあります。
神聖なるお寺の住職というよりも、市井の人々に根付いている存在であったようにも思えます。
と、いうのも、単身で暮らしていると、お寺さんとの付き合いが、ほとんどないのが実情なのですね。
なので、子どもの頃の記憶としてしか知らないのです、私。また、氏神様は自分で選ぶことができないのですが、お寺さんは、自分で選ぶことができるのですよね。だって、宗教だから。

選ぶのは、宗教的なお寺。

神社は宗教的なことは感じないのだけれど、お寺は、宗教的なことを感じてしますのよね。
それは、どうしてなのか自問自答してみると、死者を弔ってくださるからなのかもしれないと思うのです。
神社は、結婚式や子どものことなど、目にみえる成長の記録でもあるのですが、お寺は、葬式など死者に対しての行事であるということです。
それは、目に見えない世界との交信とでも表現するといいのでしょうか。

そういえば、神社は神聖なイメージがあるのですが、それは、死者を葬っていないからなのでしょうか。
しかも、生活に密着しているようなイメージもないためでしょうか。有
名な神社でも、生活に密着しているということを感じないのですよね、私はね。



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